うれしい時、悲しい時

校長 片山 造

(本当に)うれしい時はまわりを気にせず大笑いしよう!

(本当に)悲しい時はまわりを気にせず大泣きしよう!と決めている。

しかし、これがなかなか難しい。ことの始まりは、小学校の卒業式後の教室。生徒を子ども扱いせず、若くて情に満ちた男の先生のもと、一体感がありとても良いクラス。教室での先生の最後の授業、先生が話し始めると自然と涙の輪が広がっていった。先生が、生徒が、保護者が、教室中が泣いていた。そんな中、なぜだか私は泣くことができなかった。それどころか、おかしくもないのになんだか笑えてきた。すすり泣きの音とともに、私の「ハハハ...」という笑い声が漏れていた。どうしていいのか分からなかった。笑い話としてではあるが、小学校のクラスメイトからは、その時のことを今でも言われる。(笑)

放課後、壁にボールを当ててソフトボールの練習をしていた私に先生が「片山、将来なりたいものはあるか」と聞いてきた。小学6年生の私はそんなことについて考えたこともなく、「はあ」と言った。すると先生は「教師になって欲しい、なりなさい。」突然、真剣な口調で言われたので戸惑ってしまい、とっさに「いやです。」と答えてしまった。その時の残念そうな先生の顔は今でも覚えている。

果たして、それから30数年後、先生の退職祝いで同級生が集まった。先生は一人ひとりに声を掛けながら、わたしの順番になった。私は「先生、教師になりました。」と報告した。すると先生は「知っていたよ、そしてとてもうれしく誇りに思うよ。」といってくれた。帰り際にも、先生がポンポンと私の肩をたたきながら「片山、せっかくだから校長になりなさい。」と言われた。そんな気がない私は、30数年前とまったく同じ「嫌です。」と答えていた。30年前と違ったのは、そこに先生の残念そうな顔はなく、ニンマリ笑った自信に満ちた顔があったこと。そして先生は言った。「次は片山校長、みてみたいなあ。」...

そんなわたしは今、校長室の校長席に座り「福泉だより」を書いている。人生ホントにわからない。