災い転じて福となす?

校長 片山 造

北海道で教員になった2年目のこと。確か12月に国語科の日帰り親睦旅行があった。小林多喜二にゆかりのある小樽を散策し、美味しい寿司を食べるという企画。幹事になった私は、事前に行程表を作成したり、美味しくて安いすし屋をさがしたり準備を進めていた。

果たして、当日の朝7時前、電話が鳴った。教頭先生から「片山さん、なにしてる、もう汽車※が出るよ」急いで駅に駆けつけたが、汽車は出た後だった。幸いなことに、運賃の払い戻しができ、すぐ後のバスで目的地へ向かうことになった。先生方はみな、優しく私を責めることもせず恐縮することしきりだったが、一人の男性教員は、行程表をその場で破り捨て、「大阪に帰れ!」と言い放ち帰ってしまった。その後、親睦旅行は敢行された。雪の降る小樽の町で史跡を巡り、美味しいお寿司を食べた。愉しい時間だった。しかし、気がかりなことがあった。それは、帰ってしまわれた先生のことであった。さらにその先生はなぜか私のクラスの副担任だった。気まずいなあ、明日からどうしよう。

次の日からその先生は一言も口をきいてくださらなかった。これはさすがに堪えた。次第に周りの先生や生徒も変だと感じ始めたようで、「何かあったの?」と聞いてくる機会も増えた。もちろん、何があったのかも言えず新しい年を迎え3月。国語科の先生がそんな状況を見かねて、支笏湖の秘湯丸駒温泉の旅行を計画した。メンバーは12月の小樽と同じ。久しぶりにその先生と同席することになった。温泉⇒食事、そして「カラオケ」(チャゲ&飛鳥)のメドレーが流れマイクを渡された。カラオケを入れたのは、その先生だった。ここから一気にスパークした。二人で拳を握りしめながら熱唱した。嬉しかった。まわりの先生方も手拍子と泣き笑いで盛り上げてくれた。

熱唱の後、その先生からなぜかマイクパフォーマンスの形で言われた。「片山さん、あれからあなたをみせてもらったが、時間と約束はきっちり守っていたね。許す!」そして、熱き抱擁。みてくれている人がいる喜びと目の前のモヤモヤが消えた開放感、今でも思い出す。

※「汽車」...北海道では昔ながらに電車のことを汽車と呼ぶことが多い。