生徒たちに教えられたこと(テニス編)

校長 片山 造

 野球の次は、テニス。自分自身、高校に入ったらなぜか(硬式テニス)をするものだと決めていた。しかし、入学した学校に硬式テニス部がないばかりではなく、(軟式テニス)の全国常連校。おまけに、年中真っ黒に日焼けした顧問が私と同じ駅から通勤していた。これはダメだとあきらめ、違う部活に入った。そんな思いから、大学入学後、部活とは別に友人とテニスサークルをつくり時間をみつけて練習した。働き始めてからも、冬場に体育館で実業団のチームに交じり練習させてもらった。札幌に転勤すると、その高校には念願の硬式テニス部があった。学校の指導者事情もあり、テニス部と野球部と新聞部を掛け持ちすることもあったが、野球は自分自身競技者としては引退していたし、新聞は素人同然なので楽な立場であった。テニスだけは、まだ極めたい部分もあったので、自身も競技者と指導者として懸命に挑み続けた。思いは伝わるもの。部員はわたしの指導にくらいついてきて、大会でも成績を残し始めた。ある大会、全国常連校をもう少しで一泡吹かせるところまで追い込んだ。

 その後、大阪で教員を続ける機会に恵まれた。赴任した学校は、ここ「福泉」だった。そこには硬式テニス部があった。3年男子4人、2年男子2人、1年女子1名の部活。好きな時に来て、球を打ち、コート整備もせずボールも拾わない。数人の部員と草抜きとコート整備から始めた。それを聞きつけたOBも練習に来るようになった。大会にも参加した。

そんな先輩が卒業。あらたなる春を迎え、男子1名、女子1名、新入部員が入ってきた。人数は少ないが、大会参加に向けて毎日、走りきることができる体力づくりとボールを使った基礎から応用練習を繰り返した。

それから1年が過ぎ夏。男子部員が私のところに来て「先生、部活動辞めさせてください」と言った。私と目を合わすことなく、涙ぐんでいる。何があったのだろう?あんなに楽しそうにテニスをしていたのに、そう思いながら理由を聞いてみると、「高校で部活をしたかったのは、テニスが上手くなりたかったということより、友達と部活の帰りにワイワイと話をしたり買い食いをしたりすることをイメージして楽しみにしていたから。」正直、その言葉に驚き、そんな思いに気づくことなくいた自分を恥じた。

 それぞれのめざすことや愉しいイメージがある。それを生徒に気づかされた。その後、部活を辞めた生徒とは廊下ですれ違い挨拶を交わす程度の関係になった。月日は流れ、次の年の秋。文化祭の野外ステージがやけに盛り上がっている。レデイGAGAの「Bad Romance」が流れる中、扮装した男子生徒が弾け踊っていた。その中心に彼がいた。堂々とキレキレのダンスで観客を魅了していた。友達とワイワイ、彼の描く部活がそこにあった。

卒業間際、生徒が私のところへ来て言った。「先生、またテニス教えてください。」

気づけば、生徒から教えられてばかりの自分がいる。そして、思い出すと泣けてくる。