校長 片山 造
教員生活18年、北海道から大阪に戻り、国語教師を続ける機会に恵まれた。しかし、そこには次なる壁が存在した。さすが、しゃべくりの本場、大阪。私が話を始めると、生徒が「ほんまに?」「そうそう私も...」と(つっこみ)を入れてきたり、「そんなことより、前の時間休んだからプリントちょうだい」と絶妙のタイミングの悪さで言葉を差し込んできたりする。話を聞くより話に参加する文化がそこにはあった。
(今までの普通が通用しない、さて、どうしたものか)思案した。並行して、「授業は誰のものか?」再考した。そして、(生徒のためのもの)という原点に立ち返った。決めたのは、(自分たちのための授業)なのだから、授業のルールについては自分たちで決め、責任を持つ。例えば、あるクラスのルールは、①全員寝ずに、授業を受けたらクラスに加点がある。②テスト前とテスト後にわかる人がわからない人に教える時間を設ける。③クラスの平均点を設定しクリアしたらご褒美がある。ご褒美については頭をひねり、誰もが楽しめプライスレスであることが条件。ダメでもともとで試してみたこの取組み。思わぬ効果をあげた。
このことより確認できたことがいくつかあった。それは、(自分事として物事を考える)(その時間に生じた問題はその時間のうちに解決するのがよい)というシンプルだが意外にできていないこと。そして、真に関わりを持った者だけがみることのできる(風景)が存在していることであった。