校長 片山 造
札幌の高校で担任を持った時のこと。気がつけば、早くも?3回目の卒業担任となっていた。2年生から卒業まで2年間持ちあがりのクラス、それが1組だった。他のクラスと比べてまとまりがなく、もちろん盛り上がるわけでもなく日々が過ぎていった。担任の私は、そんな生徒に愛情を注ぐわけでもなく、時として(できていない)と怒りをぶつけ、淡々と連絡事項を伝え授業をこなすだけ。他のクラスの授業でワイワイ盛り上がっている様子(音)や真っ黒に日焼けして部活指導に勤しむ私を生徒たちはどんな思いでみていたかと思うと、今でも申し訳ない気持ちになる。
3年になってからクラスに少しずつではあるが、変化が生じてきた。7月末の文化祭に向け、5月のGWから準備を始めたのだ。もちろん、他のクラスはまだどこも準備なんて始めていない。どうやら、昨年の悔しさと(このままでは...)という思いが生徒の芽生えたようだ。「何事も準備が大切」。文化祭の結果は、ぶっちぎりの優勝だった。表彰式の結果発表「優勝は3年1組」生徒会のアナウンスの後、クラス全員が舞台に駆け上がり、その後、わたしが呼ばれ⇒胴上げ。歓びを爆発させ、過呼吸になる者までいた。
それを機にクラスは変貌を遂げていく。「テスト前勉強会」「就職・進学の面接練習」「受験生壮行会」「支援学校へのボランティア活動と交流会」「秋の遠足」...これらは全て、生徒が企画・運営したものである。そして、涙と笑いの卒業式。不覚にも私も教室でホロリとしてしまった。私も彼等に何かを残したいという思いから「映像編集」を始めることになる。
北海道を旅立つ前に、3年1組が送別会をしてくれた。そこで、1組との昔と今、そして(私からのメッセージ)を込めたDVDを渡した。途絶えることのない宴。カラオケの「ハナミズキ」はエンドレス、店員は苦笑い。雪の降る中、明け方の生協の駐車場で別離を惜しんだ。コロナ禍があけたら、子どもを連れて北海道にいきます。