校長 片山 造
「そんなもの社会の常識だろ。電話で済まそうなんて思うな。家まで行って保護者に説明してきなさい。」担任1年目、生徒指導対応に教頭先生からお叱りの言葉をいただいた。静かに本気で叱られたものだから、戸惑ってしまいオドオドしていると、教頭先生は「わかったのか、返事ぐらいしないか、すぐ行きなさい。○○先生、ついていってあげて。」急き立てるように言葉をつなげた。
車で生徒の家に向かった。ついてきていただいたのは生徒指導に長けたベテラン教員だった。車の中で先生は、「私が説明するから、とにかく片山先生は頭を下げてなさい。」とおっしゃった。
室蘭の地球岬近くの家。私は言われた通り、終始、頭をさげていた。ベテランの先生から保護者に今回の指導について説明がされた。「よくわかりました。わざわざ来ていただきありがとうございます。」うまくいったと思ったその次の瞬間、保護者の方が「ところで、片山先生はなにをしにきたの」と突然、矛先が私に向けられた。
思わず出た言葉「教頭先生に謝りに行けと言われたので、来ました。」(まずい)恐る恐る目線をあげて、保護者をみてみると、なんと(ニコニコ顔)だった。新米教師の私を受け止めてくれるそんな場の空気が既にできていたのだ。「先生のことはいつも子どもが楽しそうに話してくれます。頼りなくて何しでかすかわからないから、俺たちが育ててあげるんだって。」「学校でのことは先生に任せる。これからも息子の相手してやってください。」
寒い北海道で、人のありがたみに触れ(感謝の芽)と(教師としての芽)が開いた瞬間であった。