教えてもらうということ

校長 片山 造

 2年生の教室で、生徒に話す機会に恵まれた。何を話そうかと考え、知り合いの女性の話をした。その人は、幼い時から親に構われることなく過ごしてきた。経済的に貧しいわけでもなく、母親からは十分なお金を与えられていた。そんな日々の生活の中、心が満たされることはなかったという。中学生になる頃には、学校に行くこともなく(行っても教室に入れてもらえず)、大人を信用し頼ることもあきらめ、夜の街を徘徊するようになり、犯罪に手を染めるようになった。ほどなく、警察のお世話になり更生施設に送致された。

 施設での生活は規則正しく(学び)の連続だった。「手をあげて発言する」「挨拶の励行」「国・数・英の学習」「食事は1日に3食」どれもこれも初めてのことだった。

ある日の朝食の際、周りを見ると、皮をむきながらバナナを食べている。それまでは何の疑いもなく、皮がついたままバナナを食べていた。その時初めて、バナナは皮をむいて食べるということを知ったそうだ。

(教えてもらうということ)(学んでいくということ)。これは当たり前のようにみえて、実は周りの大人の関わりや本人の努力がないとできないことかも知れない。

その女性は、現在、一児の母となり社会の中で力強く生きている。

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