置かれた場所で咲きなさい

校長 片山 造

 初めてこの言葉を聞いたのは、確か10年以上前の教員研修でのこと。研修の講師をしていただいたある学校の教頭先生が、(教師という仕事)や(教頭先生の日々の業務とやりがい)について話をされた。失礼ながら何を話しておられたかは、ほとんど覚えてはいないが、楽しげに話をするその表情と、この言葉だけは記憶に残った。

(置かれた場所で咲きなさい)

 それから事あるごとに、この言葉の意味について考えるようになった。なぜ、その言葉が気になったのかは分からない。そして明確な解釈ができたわけでもなかった。

 或る日、仕事が休みの時、実家に立ち寄る機会があった。玄関から入るとその左側に電話がある。その傍に、先日までは気がつかなかった一枚のメモが貼られていた。

(感謝の日差しで花が咲く。不満の嵐で花が散る。)

 ドキリとした。そして、二つの言葉が自分の中でリンクした。なにかに捉われむしゃくしゃしていた自分が馬鹿らしくなるとともに、目の前の視野がぱっと開けた。私はその時、この二つの言葉をこう解釈した。

(現状を憂うばかりでなく、与えられたフィールドで勝負しなさい‼️)

(他者に~してほしいと思う前に、まずは自分から一歩踏み出しなさい‼️)

 世の中に(なるほど、そうだったのか)と即座に合点し、すぐ(がんばろう)と勇気づけられる言葉はたくさんある。一方、私にとってこの二つの言葉は、日々の(じたばた)を積み上げていく中で、何かとつながりながら自分なりの解釈がてきた言葉である。