29歳のある日、夜なぜか眠れず、気がつけばこんなことを考えていた。
(一日、誰からも声を掛けられなかったらどうしよう)
何かがあったわけではない。強いて要因をあげれば、大阪から単身、北海道にやってきて、異文化の中でもがいていた、ということだろうか。
眠れぬまま、朝を迎えた。どうなるのだろうかという不安を抱え、アパートから道一本隔てた学校に向かった。職員室に入り、朝の打合せが終了。挨拶や簡単なやりとりはあったが、今のところ、誰かが話しかけてくることはない。出席簿を持ち教室に向かった。
(誰からも声を掛けられなかったらどうしよう)
だが、そんな不安は、一瞬にして吹き飛んだ。自分のクラスに入るやいなや、「先生、聞いて聞いて、昨日...」「先生、〇〇さん腹立つ」「先生、今日用事あって掃除できないから」...。次から次へと生徒が話しかけてくる。私と言えば、嬉しさをできるだけ表情に出さないように「そうかそうか」と生徒とやりとりをする。
(教師は孤独?)そんなことはどこ吹く風。昨夜の心配は杞憂※(きゆう)に終わった。そして、何事もなかったように日常がスタートしていた。
※「杞憂(杞憂)」...無用な心配をするという意味のこと。語源は、中国古代の周代において、杞の国の人が天が落ちてこないかと憂えたことにある。