地震雷火事親父

 思い出せないだけかも知れないが、幼い時、父親から褒められた記憶はほとんどない。出来の悪い私は、親父にいつも叱られていたような気がする。そんなこともあり、夏休み、家で親父と二人になった時の緊張感はとてつもなく大きいものだった。

 「地震雷火事親父(じしんかみなりかじオヤジ)」これは、昭和の時代に、世の中で怖いとされていたもの。私の父親は、まさに、この言葉がぴったりとあてはまる(かみなりオヤジ)だった。

 小学校5年の終業式。担任の先生から、教室で通知票をいただいた。帰りによくよくみてみると、成績がどの教科もググーンと上がっていた。普段はほとんど成績や点数に興味はなかったが、(これは使える!)と思った。この通知票を使って、いつもやり込められている父親を(ぎゃふん)と言わせてしまおうと考えたのだ。計画はその夜遅く決行された。ほろ酔い気分で帰宅した父を玄関で待ち構え、その鼻先に成績票を突きつけたのだ。

 (してやったり)と思った次の瞬間、親父はセロテープで通知票を玄関のドアに貼りつけた。そして私に言った。(そんなにうれしいのなら、みんなにみてもらいなさい)

 やはり、雷親父には、かなわない。