人って面白い動物?

 今から20年以上前の話。新学期が始まり、間もなく5月も終わろうとしているそんな時、まわりと交わらず、いつも一人でいる男子生徒がいた。決してやる気がないわけではない。クラスになじめず焦っているわけでもない。その態度は至って堂々としたもの。

 朝のHRの時間、(まわりがざわざわしていても)彼は恥ずかしくなるほど担任(私)の話を聞き何やらメモをとっている。授業では更に存在感を示す。「いやーっ、緊張したわ。質問されて焦ったわ」ベテランの教科担当の先生が職員室に戻るやいなやそんな声を出すくらい、一瞬たりも気を抜くことなくうなずきながら授業を受けている。結果、1学期の中間テストの成績は抜群だった。

 考査毎にノート点検を行う。彼のノートは見開き3分割されていた。一番上は授業の板書内容。2段目は先生が補足として話したこと。3段目は感想や疑問に感じたこと、今時点の答えがびっしりと描かれていた。それはもはや、アカデミックかつ芸術的な代物だった。もはや、単なる授業ノートではなく、彼の頭の中の宇宙そのものであるかのようにさえ思えた。さらに読み進めていくと、こんなことが書かれていた。(人間は自分がされて嫌なことを誰かにしている。)思わずうーんと頭を抱えてしまった。また別の段には、先生の雑談より(ニューヨークの動物園の出口付近に一枚の大きな鏡がある。そこに映し出される人間の姿に「世界で最も獰猛な生き物」との紹介がされている。)心して挑もう!と書かれていたりする。その感覚はすばらしく研ぎ澄まされたものである。

 今でもその生徒とはFacebookでつながっている。今度、勇気を出して「ノートあるならみせて」と伝えることにする。そこに書かれている自分と同じ空間を共有したその生徒を確認するために...