4月10日「サッカーが教えてくれたこと」

ご無沙汰しております。

顧問の山磨です。

最近はブログ担当も変わりましたので、久々の登場になります。

サッカー部では、新型コロナの影響もあって、

部員それぞれが特別課題に取り組んでいます。

内容は4つのテーマについて、

レポートを作ったり、プレゼンを考えたりする自主課題になっています。

今日はそのうちの一つを載せさせていただきます。

読みづらい、甘い部分も多くございますが、

サッカー部を紹介する意味も込めて、

読んでいただければと思います。

 

 

「サッカーが教えてくれたこと」

サッカーと僕のここまでの人生は、切っても切れない関係だ。

サッカーは僕にたくさんのことを教えてくれたし、与えてくれた。

サッカーが無ければ間違いなく僕はもっと弱い人間だった。

自分というあり方も全然違っただろう。

小学生のときはただ楽しいと思って、

あの技がやってみたい、あんなシュートが打ってみたいと思っていた。

ところが中学生になって、

小さくて足の遅い僕が技術でも負けてしまう集団に入ってサッカーをするのは大変だった。

サッカーをするのがしんどい時期もあった。

その後、四條畷高校に入学することができた。

初めての部活動で、僕の磨いてきた技術は高校でも通用したし、プレーも一生懸命にやった。

でも試合に出ることはできなかった。

四條畷高校はまた異質な場所だった。

チームのことが考えられる、人間的に強い人。

そのような人が求められる場で、それが勝つためだとは最初は思えなかった。

決して上手くいってきたとは言えないサッカー人生だ。

だからこそ僕はサッカーに思い入れがある。

努力すること・自分を表現すること・工夫することなど

普通の生活だけでは得られなかったことばかりだ。

僕の中学時代の話はその一例だと思っている。

サッカーで自分をいかに存在させるのか。

ボールの受け方、触り方、位置取り、たくさん自分で研究して、

僕はフォワードとして自分だけのプレースタイルを作り上げることができた。

サッカーに出会うまでは自分を隠していた。

サッカーでそのような選手は評価されない。

別に評価ばかり気にしてサッカーをしてきたつもりはない。

ただ、サッカーはチームスポーツだ。

一人がみんなに影響する。

各々が自分の色を出してサッカーする。

それがうまく重なった時にチームが強くなるのではないか。

自己主張と協調性を兼ね備える選手。それが僕の中での理想のプレーヤーだ。

自己主張と協調は社会生活で求められていることだ。

努力することだってそうだ。

サッカーと生活は必ず繋がる。

勉強を頑張ること、頑張れていること、互いが互いと繋がっている。

こうして、今は学生としてより良い道を歩いて、

これはいつか社会に出たときに繋がっていくのだと確信している。

僕はこの四條畷高校サッカー部で、試練を突き付けられた。

一番大きい壁は、人間的に成長すること。

中学までの僕は自分ばかり見ていた。

でも、僕たちはチームであり、勝つために、成長するために、互いを支え合うことが大切だ。

面倒くさいことだけど、この中にも、きっとまだ気づいていない、

生きていくうえで大切な要素が隠れているはずだ。

何より「感謝」している。

ただ懸命にサッカーができることが当たり前でないことがよくわかってきた。

それは、四條畷高校サッカー部でここまで培ってきた思考力のおかげである。

この感謝を返すには、勉強や学生生活を高い基準で取り組みながら、

サッカーで結果として成果を上げることだ。

勝ち上がっていくこと、人間的に強くなること。

これが僕らを支えてくれる全ての人への恩返しになるはずだ。

サッカーが教えてくれたくれたこと、日々に、みんなに感謝すること。

また新たに一つ人生にとっても大切なことを教えてくれた。

ー新3年プレーヤーKー

文章として気になる点は多々ございますが、そのままに載せさせていただきました。

難しい環境の中で、部員それぞれ「今できること」に取り組んでいます。

先日、大阪では2つしかないトーナメント戦のひとつ「春季大会」が

延期または中止と発表されました。

致し方ないことではございますが、モチベーションが落ちてしまっても仕方ない状況です。

そんな中でも、たくさんの特別課題が送られてきました。

私自身も、彼らに負けていられないなと、気合を入れ直したところです。

部員、顧問ともに、今という時間を大切にしていきます。

顧問 山磨