9月7日「価値」

「雑草とは何か?その美点がまだ発見されていない植物である。」
 
これはアメリカ合衆国の思想家、ラルフ・ウォルドー・エマーソン氏の言葉だ。
 
今日は学校で体育祭が行われた。
 
僕が体育祭を終えて1番に持った感情は「悔しさ」だ。
 
何に対しての悔しさか。
競技で勝てなかったこと?自分が活躍できなかったこと?
もちろんそれもある。
 
しかし、僕が感じた悔しさの中で1番大きいのは「競技外」にある。
 
今回サッカー部は、様々な形で体育祭に関わらせて頂いた。
 
前日のグラウンド準備、当日の補助委員など。
 
僕は与えていただいた仕事をきっちりとこなそうと準備していた。
その甲斐あって、サッカー部としてやるべき仕事はこなすことができた。
しかし、やるべき仕事しかできなかったのだ。
 
与えられた仕事を一生懸命にこなしていると、たくさんの人に感謝を伝えてもらった。
それがすごく嬉しかったし、何よりその瞬間が楽しかった。
 
しかし、与えられた仕事プラスαで何か自分が手伝えることを探し、
行動に移せた人はもっと楽しかったのだろうなと思う。
 
その楽しさを人よりも味わえなかったことが何よりも悔しいのだ。
 
僕は運動がさほど得意では無い。
だから、体育祭の競技ではあまり活躍できない。
 
逆に運動が得意な人は、競技で活躍できる。
そのような人が競技に出て、一生懸命取り組んでいる姿はとても見応えがある。
 
しかし、体育祭の面白さは競技だけなのか?
 
僕の答えはNOだ。
 
僕にとっての体育祭の面白いところは、
体育祭が円滑に進むように競技外でサポートを行うところだ。
 
他にも、応援している時が1番楽しいと感じる人もいれば、
競技に出ている人の写真を撮ることが1番楽しいと感じる人もいるかもしれない。
 
 
何が言いたいかというと、
「それぞれの考え方次第で、価値は生み出せる」ということだ。
 
過去を振り返ってみると、
僕は今までも普通とは違うところに価値を感じていたのかもしれない。
  
 
1年生の時に英語のスピーチ大会があった。
僕は英語を話すことが好きだったわけではないが、
周りの友達がさほど本気で取り組んでいなかったからこそ、自分は本気でやろうと思った。
 
少し捻くれた考えかもしれないが、
周りがやっていないことを自分がやっているのはどこか嬉しく、楽しかった。
 
体育祭や英語のスピーチ大会といった特別な行事で、
何か新しい価値を見つけることはさほど難しいことではない。
一生懸命に取り組んでみると、誰でも新しい価値は見つけられる。
 
しかし、大切なのはそこではない。
 
特別な行事以外の普段の何気ない生活の中で、
価値を見出そうとすることが1番大切であり、難しいことでもあるのだ。
 
特に普段の生活では、「なぜこんなことをやる必要があるのだろうか」
などと疑問に思うことは無いだろうか。
 
そういったことに対して、何か価値があるのではないかと考え
行動してみることが、自分の成長に繋がると僕は信じている。
 
これはいざやってみると非常に難しい。
僕もまだまだ自分の弱い心に負けて、行動に移せないこともある。
 
しかし
 
たとえ雑草であっても、そこに美点を生み出せる人に僕はなりたい。
 
2年プレーヤーN
 
掲載:顧問山磨