生徒たちに教えられたこと(野球編)

校長 片山 造

A高校 0 0 2 4 18 24
B高校 0 1 0 0 0 1

これはB高校において、私が初采配したある地方大会予選の高校野球のスコアである。

転勤初日、2年2名が職員室の私のところにやってきて「先生、野球部監督をしてください」と言った。生徒会の規約で、1年以上活動のない部活は廃部と決められていた。「わかった。それなら9名集めてこい」きっと集まらないだろうと高をくくり生徒に言った。ところが、入部希望者と陸上部とバスケット部の助っ人4名が参加し、9名揃ってしまった。約束は守らなければならない。次の日から、夏の大会に向けて練習が始まった。しかし、初心者の寄せ集め集団。硬球を握るのは初めて、軟式のグローブを持ってきたり、ストッキングのはき方が分からなかったり、一から教えなければならなかった。幸い、家が漁師の生徒が多く、日頃、早朝から船に乗り手伝いをしていることから腕力(パワー)と忍耐力はあり、メキメキ上達していくのが分かった。そして、練習開始から一ヶ月後、前年度まで教えていた学校の生徒に頼んで、練習試合をしてもらった。急造のチームにしてはなかなか善戦した。これなら、あとひと月に迫った夏の大会でもなんとかやれる、私も生徒も手ごたえをつかんでいた。

そして、待ちに待った夏の大会を迎えた。チャンスをいかし先制し、声を掛け、お互いカバーしながらなんとか四回までしのいだ。そして、5回の表、ピッチャーの疲れに乗じて相手の打線が火を噴いた。私はベンチからなすすべもなくそれを見守るしかなかった。相手の攻撃が終了。ベンチに戻る選手にどんな言葉をかければよいのか、考えあぐねていた。

しかし、選手たちは決してあきらめていなかった。「ナイスピッチャー」「逆転するぞ、ここからだぞ。」「監督、お願いします。」そこには、チームや仲間を思いやりたくましく成長した生徒たちの姿があった。ベンチで采配をとりながら、私は汗とともに流れる涙をぬぐうことさえできなかった。

試合終了後、キャプテンと女子マネージャーが新聞の取材にこたえていた。言葉少なに、晴れやかな表情で胸を張り取材に応じているように見られた。次の日の新聞の記事の見出しには、野球部の灯(ひ)だけは消さなかった。二人の笑顔の写真とともに掲載されていた。