校長 片山 造
どんな声掛けをすればよいか、考えることが度々ある。もちろん相手との関係性や距離感によって、声の掛け方は違ってくる。相手を思いやりながら、自分が伝えたいことを言葉に乗せていく。簡単そうに見えて、なかなかに難しいことのように思う。
「片山さん、いかに・いかでか・いかが・いかにか?」そんな声掛けをしてくる国語の先輩教員がいた。これは、漢文の疑問・反語表現で〔~だろうか。(いや~ではない)]という意味。教員になりたての私は、主語がないまま先輩にそう聞かれるものだから、返事に困ることが多かった。それでも先輩は問い続ける。「いかに・いかにか・いかで・いかでか」。
主語がないと言えば、「大丈夫だから」と声をかけてくる先輩もいた。よほど私が切羽詰まった表情をしていたのか、会うたびに「大丈夫だから」と私に声をかけてくださった。その度、先輩はうなずきながら「わかっている。大丈夫だから。」を繰り返すばかり。
自分よりも自分以外の人の方が(みえていること)がある。先輩方からいただいた、それらの言葉は、そんな自分のその時の姿をあらわしていたのかもしれない。