できなくてもいいんだよ

校長  片山 造

 「できない、できない」最近、2才になる子どもがもどかしそうな素振りとともに言っている。どうやら散らかした本やおもちゃを元の箱に片付けようとするがうまくいかないようだ。この春、保育園に行くまでは、そんな言葉を口にしたことはないのだが...。

 テレビでは東京オリンピック2020の熱戦が繰り広げられている。鍛えぬかれたアスリートたちの姿を観ているときっと、自分に限界(できない)を定めることなく、記録や自分自身に挑戦し続けているのだろうと思える。その姿には人知を超えた尊さがある。そんなアスリート達の姿と我が子の姿、そして自分のこれまでがシンクロする。

 (人それぞれ)(個人差)といいつつ、誰が決めたか知らないが、実は世の中、(できなければならない)という設定が多い。そして、それに翻弄され自分も含め(しんどい)思いをしている人が多くいるような気もする。

 テレビでは今まさに世界記録に挑戦しようとする選手が映し出されている。その状況を知っているのかどうか、子どもは(できない)の手を休め、テレビの画面に見入っている。次の瞬間、ため息とともに拍手が湧き起った。そしてそこには競技を終え、記録を達成することはできなかったが、自分の持てる力を全て出しきり晴れやかな表情で手を振って声援に応える選手の姿があった。

 (できなくてもいいんだよ)口に出していないが、そう思いながら子どもと一緒に散らかった本やおもちゃを無造作に箱に片付けた。(ほら、できた。そしてありがとう)。