春の訪れとともに到来した春の嵐の中、本校第73回卒業証書授与式が挙行されました。
今年度は、コロナウイルス感染症予防のため、保護者の皆様にはHR教室にてライブ配信したものをご視聴いただく形でのご参列となりました。このライブ配信にあたっては75期生有志の生徒たちが協力してくれました。
式では、校長先生が式辞の中で、『貞観政要』からリーダーが持つべき三つの鏡についてと、ダーウィンの言葉を紹介。校長先生自身のメッセージとあわせて、卒業生へ餞の言葉が贈られました。
●学校長式辞【抜粋】
皆さんが茨木高校での生活を終えて、新たな環境に旅立つにあたり、私から二つのことを伝えておきたいと思います。
一つめは、「リーダーとして正しい意思決定ができる能力を身につけてほしい」ということです。中国の唐の時代の第2代皇帝、太宗・李世民の言行録をまとめた『貞観政要』という書物の中で、リーダーは、三つの鏡(「銅の鏡」、「歴史の鏡」、「人の鏡」)をもたなければならないと説いています。「銅の鏡」は、自分の顔や姿を鏡に映して、元気で明るく楽しそうかどうかを確認することできる。「歴史の鏡」は、過去を照らして、将来に備えることできる。「人の鏡」は、上司の欠点や過失を指摘し忠告してくれる「他人」が大事であるということ。これら三つの鏡、つまり、今の自分の表情・状況をチェックする、歴史に学ぶ、第三者の厳しい意見を知ることがリーダーには不可欠であるということです。私は、学校運営をするうえで、少しでも良い意思決定をするために、特に歴史の鏡である「過去の失敗に学ぶ」とともに、人の鏡である「厳しい意見を言ってくれる人を大事にすることを常に心かけています。是非、皆さんも、この三つの鏡を常に意識して、正しい意思決定を行えるように努めてください。
二つめは、変化の激しい時代を生きる皆さんにとって、「変化に対応する力」を身につけてほしいということです。進化論で有名なダーウィンは、「生き残ることができるのは強い者でも、賢い者でもない。変化に対応できる者だけが生き残る」と、「変化に対応する力」を重視しました。これは、今までの経験だけに頼って生きていてはだめだということです。常に失敗を恐れず、柔軟な発想で新たなことに挑戦し、試行錯誤を繰り返す。そして学び続けることで、新たな環境に適応することができると私は考えています。
現在、コロナ禍であるからこそ、皆さんの柔軟な発想で失敗を恐れず、様々なことに挑戦し、対応できる力を育んでほしいと思います。
卒業生の答辞では、3年間の成長、同期の仲間達への感謝、茨高への想い、家族への感謝、そして在校生へ繋ぐ熱い想いが語られました。一つひとつの言葉に茨高で過ごした3年間の思いが詰まっていました。
式の最後では、73期卒業生が自分たちで作詞、作曲、編曲した卒業歌「輝」を合唱。この高校生活3年間で成長した姿を、参列者全員に見せてくれました。
●73期生卒業歌「輝」(1番を紹介します)
胸に挿す花飾り 静かな風がなびかせる
楽しげに微笑んだ 春の陽だまりの中で
遠い国で見た朝日 語り合った夜
帰り道を染め上げた夕日 いつも僕の側に
歩き出す 描いた夢の先へ
たとえ離れて会えなくても同じ日々を抱いて
歌え 負けない僕らの歌がある いつまでも
ここで乗り越えてきた全てが明日を照らす光
●73期生「卒業の言葉(抜粋)」
コロナ禍の中、在校生の参列の数も制限されてしまいました。ここに抜粋を掲載します。在校生への思いを受け取ってください。
本日は、コロナ禍の中、私たち七十三期生のために、心温まる卒業式を挙行して下さり、ありがとうございます。三年間の茨高生活の中で一番印象に残っているのは宿泊野外行事です。僕は副委員長に立候補しました。投票の結果カンボジアに決定。修学旅行としてカンボジアへ行くことは大阪初、さらに三六〇人という大人数で行くのは、「日本初」。「初」という言葉の重みに、僕たち行事委員の意欲は高まり、プレッシャーも感じました。出発の日が迫り、フラストレーションが高まり、些細な意見の食い違いで前に進めなくなったこともありました。これではダメだと思い、深く深呼吸をして相手の意見に耳を傾ける。自分の視野を広げて物事を考えること、問題解決に向かって柔軟に対応する力。リーダーとして大切なことを学ぶことができました。遠い国で見た「朝日の中のアンコールワット」、湖に反射する息をのむ神秘的な絶景、遺跡の至る所に描かれた繊細な壁画。もう一つに印象に残っているのは、バスから降りるや否や「一ドル、一ドル」という日本語でカッパや傘などを売りにてきた子どもたちです。「お金を渡さないように」という旅行会社の人からアドバイス。僕は誰かに心を強く握りつぶされているような感覚に襲われ、その痛みを振り払うように目をそらしてしまいました。日本では目にすることのない光景。世界には貧しさを強いられている人たちがいる。頭で理解することと実際に体験することは違う、気候、物価、インフラ整備、衛生面、食事、三泊五日という短い期間でしたが、新たな世界を体験することができました。在校生の皆さん。様々なことに積極的に関わり、ここでしか得られないこと、学べないことを大いに吸収してください。きっと誰にも奪われない、一生の財産となるでしょう。
私は、この三年間で何度も「茨高生はすごいなぁ」という言葉を口にしてきました。入学したての頃、私は茨高生の一員になりたい一心で、何事にも果敢に取り組みました。しかし時が経つにつれて、自分を突き動かしていたはずの茨高生への憧れが自分の現実と理想との差を浮き彫りにして、次第に私の足を止めるようになりました。自分が明確な目標をもって学校生活に臨めているのかどうか不安になり、同級生たちに置いていかれているような気分になりました。そんな時、私の心の支えだったのが、吹奏楽でした。何があっても、放課後の多目的ホールには、いつだって私のことを支えてくれる仲間と、私たちにしか奏でられない最高の音楽が待っていてくれました。悩んだ末に部長を務めることを決意しました。大勢の部員を引っ張っていくのは簡単なことではありませんでした。部活動を通して学んだことは、次第に私の生き方にも影響を及ぼすようになりました。劣等感は、自分の中の決めつけでしかなく、私は決まって同級生と自分を比べて、自分がまだ茨高生になれていないからできていないのだと言い聞かせていたのです。私はようやく、大切なことは茨高生であることではなく自分らしくいることだという、自分なりの答えを出すことができました。私が強い憧れを抱き、届かない存在であると思っていた仲間たちもまた、一人ひとりが私と同じような葛藤を抱えながら、少しずつ強くなっていったのかもしれません。ひとりも欠けずに、日々真っ直ぐに向き合っていること。それが茨木高校に憧れ続けたいちばんの理由なのです。そして私も、いつの間にか、真っ直ぐに向き合う生徒の一人になっていました。これからの自分に願いをかけて、めげないで目の前のことに立ち向かっていくこと、それが、「茨高生」である証です。
私は、茨木高校の生徒主体の行事に魅力を感じ、ここなら有意義な高校生活を送ることができると思い、受験を決めました。一年の後期から行事運営に関わるようになり、文化委員長として文化祭の運営を引き受ける決心をしました。これまで人前に立った経験がなく、こんな大役が務まるのかという不安もありました。毎日降りかかってくる仕事、委員長としての責任に押しつぶされそうになりました。人を信用するのが苦手な私は、しんどいことがあっても、一人で抱え込んでしまいます。誰にも相談できず、さらにつらくなっていくこともあります。高校生活で何を学んだのか、何がしんどかったのか、今まで誰にも話したことがなかったことを、初めて人に話すことができました。そんな話を親身になって聞いて、励ましてくれる仲間がいることを、今、とても嬉しく感じています。在校生の皆さん、自らの選択を大事にしてください。私たち執行部員は、伝統を継承しながらも、どんな意味があるのか、なぜ継承されてきたのかなどを考え、伝統を守るのか、変革するのか、議論してきました。意見がぶつかることを恐れずに話し合い、何とか結論を出し、生徒会行事をより良いものにしようと励んで欲しいと思います。今年度は新型コロナウイルスの影響で、これまでの伝統の多くが崩れました。七十四期・七十五期の皆さんは、大きな決断をしなければなりません。今こそ、みなさんの「生徒自治」への強い気持ちを発揮してください。たくさんの議論と、納得できる結論。下した結論がたとえ社会の流れに逆らっていたとしても、強い信念を持って歩んでいってほしいです。
幼い頃から人見知りで、自分から行動したり、目立ったりするのが苦手だった私は、そんな自分を変えたい、みんなのために行動できる人になりたいと、この三年間を過ごしてきました。やりたいと思ったことに挑戦しましたが、その結果、たくさんの人に迷惑をかけてしまいました。どれだけ必死に頑張っても、周りに迷惑をかけてばかりで何も変わることができないと思っていた私は、二年生が終わる頃には後悔の気持ちで一杯でした。そんな気持ちを抱えながら三年生になり、行われた体育祭議論。少しでも全員が納得できる方向に。今まで迷惑をかけ、支えてもらうばかりだった周りの仲間に、自分の頑張りで恩返しがしたい。そんな思いを込めて、誰もが楽しめる体育祭をと実施の対案を出した時、そして体育祭の中止が決定してしまった時、みんなから届いた「ありがとう」という言葉。その言葉の数々は、二年間後悔ばかりだった私にとって心の底から嬉しいものでした。在校生の皆さん。この茨木高校には、何回転んでも手を差し伸べてくれる、思いやりを持った仲間や先生方がたくさんいます。そして、そんな支えがあるからこそ、一人ひとり、それぞれの形で頑張ることができるのが、茨高のいいところなのだと思います。どんな壁にぶつかっても諦めずに走り続けてください。そうすればきっと、ここで乗り越えてきた全てが明日を照らす光となって、私たち「茨高生」の未来への道標となるはずです。
茨木高校の大きな魅力の一つ、それは「行事」なのではないでしょうか。特に、体育祭の運営をしてきて感じたことは、周りとの関わりの大切さです。学校全体が動く。その裏には多くの方々の協力が必要です。普段は関わりのない人との出会いは、多くの刺激を与えてくれ、視野が広がりました。今年の春、長い休校期間と新型ウイルス感染の懸念から、体育祭の実施が危ぶまれました。タイトなスケジュール、未知数の感染対策の中、実施したいという人の思いを実現するにはどうすればよいか、試行錯誤しました。執行部の「中止」原案に対し、私たちから出した「実施」対案によって、議論は前向きになり、最終的には生徒議会での票数の差が一票という僅差になりました。もちろん、中止という結果は悔しいモノでした。ですが、あの数週間、どのクラスでも議論らしい議論がなされ、生徒議会で一つの結論を出したというプロセスに大きな価値があったと思います。議論を経た上での中止だったからこそ、一・二年生は新しい形で文化祭を成功させ、私たち三年生は、最後の行事となった「遠足」を納得のいく形で楽しめたのだと思います。体育祭を実施するかどうかについて、正解・不正解はなかったのではないか、そういう課題にこそ議論を重ねる必要があるのではないでしょうか。今、茨高の生徒会活動は大きな転換期にあるのではないでしょうか? 七十四期・七十五期の皆さんなりのやり方で、来年、再来年、十年後へとつながるような「茨高の魅力」を築いていってください。「自分がやってみたい」と思うことに素直になって、やってみることが大切だと考えます。どうにもならないことに立ち向かい続けた日々は、たとえ失敗に終わっても、後悔というマイナスではなく、それでも必死で駆け回ったのだという、自信につながっています。私たちの周りには、応援してくれる仲間や先生方の存在があります。周りに恵まれていること、挑戦している仲間からの刺激を受けられる環境があることが、茨高のよきところです。皆さんでより良い茨高を築いていってほしいと、心から願います。
三年間の学校生活を振り返り、真っ先に出てくる言葉は「感謝」です。今日まで前を向いてまっすぐ進むことができたのは仲間たちのおかげです。チーム最大の目標だった近畿大会まであと数か月。そんな時、新型コロナウイルスが流行し始め、まず「音楽会」が中止に、続いて部活動停止。当たり前だった状況が一変し、練習どころか仲間と会うこともできない毎日は受け入れがたく、不安でたまりませんでした。いつまで部活を続けるのか。受験勉強への焦りもある中での決断は難しく苦しいものでした。なにもかも経験したことのない状態で、それでも全員が納得できる形に...何度も話し合って決めた引退。それは入学当時に思い描いていたものとは違い、悔しい思いもあります。でも、後悔はありません。最後の形は違っても、近畿大会を目指して取り組んできた日々は何事にもかえがたい私たちの誇りです。ウイルスの流行下、何もかもが思い通りにいかず、悔しい思いをした人がたくさんいます。それぞれのゴールが急に奪われ、ぶつけようのないやるせなさを感じたことを忘れることはないと思います。それでも一生懸命に過ごしてきた日々が失われたわけではありません。真っ暗闇の中で、手探りの状態でも、互いに手を取り合い進み続けてきた日々は私たちの宝物です。勉強、行事、部活動、茨木高校の自主自立の後ろ側にはいつでも先生方の支えがありました。三年間、本当にありがとうございました。そして、誰よりも一番近くで支えてくれた家族。うまくいかない悔しさで八つ当たりしてしまうこともありました。それでも全てを受け入れ、一番の味方でいてくれた、見守り続けてくれた家族の存在。十八年間大切に育ててくれてありがとう。これからは支えてもらうばかりではなく、自分も誰かを支えられる存在になりたい。まだ見ぬ世界への期待と不安。私たちの心の中には、七十三期をつないでくれる三年間のかけがえのない日々があるはずです。今日までの日々を思い出すときっと頑張れる。その思いが、前へ強く一歩を踏み出す勇気を与えてくれています。たとえ離れていても同じ日々を抱いて。私たちは今日卒業し、それぞれの未来へと歩き出します。
令和3年3月2日 第73回 卒業生代表
それぞれの思いを胸に、茨高から新しい世界へと飛び立っていく73期生のみなさん、卒業おめでとうございます。みなさんの活躍を心から祈り、楽しみにしています。