3/1(火)第74回卒業証書授与式

 寒さ残る春曇りのこの日、本校第74回卒業証書授与式が挙行されました。

 今年度は、コロナウイルス感染症対策のため、保護者の皆様にはHR教室にてライブ配信したものをご視聴いただく形でのご参列となりました。

 このライブ配信にあたっては、75期生有志の生徒たちが協力してくれました。

 式では、校長先生が見つめ続けた74期生の姿が学校長式辞の中で語られ、校長先生自身のメッセージとあわせて、卒業生へ餞の言葉が贈られました。

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●学校長式辞【抜粋】

 今、皆さんの心の中には、茨木高校で過ごした出来事の一つひとつが、走馬灯のように去来していることと思います。

 なかでも、2年生のときは、新型コロナ感染症の影響で、宿泊野外行事が、中止になったことをはじめ、その年の体育祭、妙見夜行登山も中止になるなど、今までに経験したことがない学校生活を送ることになり、ずいぶん辛い、悔しい日々だったと思います。その悔しさをバネに3年生になり、ゴールデンウィーク明けから体育祭に向け、総長を中心に団ごとに応援団、マスゲームの練習、マスコットの制作に一生懸命取組み、コロナの影響で短縮版の体育祭になりましたが、これまでの練習の成果をいかんなく発揮し、笑顔で生き生きと踊っている姿を見て感動するとともに茨高生の底力を見た気がしました。

 皆さんが茨木高校での生活を終えて、新たな環境に旅立つにあたり、私から二つのことを伝えておきたいと思います。

 1つめは、壁を突破する方法は、自分の考え方ひとつであるということです。

 人はみな、大なり小なり、いろいろな壁にぶつかるものです。その壁の向こう側に行く方法は、視点を変えるなど思考力を駆使することと、そしてあきらめないことです。皆さんも壁にぶつかった時には、このことを思い出してください。

 2つめは、何事も失敗を恐れず、粘り強くチャレンジし続けるということです。

 これから皆さんは、いろいろなことにチャレンジすることと思いますが、失敗したら、その原因をしっかり究明し、二度と同じ失敗を繰り返さないように、次に活かしながらチャレンジし続けていってください。

 最後に、茨高生の伝統であり強みは、授業や行事、部活動において仲間とよく議論をしたこと、また、様々な行事を生徒自らが企画、運営のすべてを取り仕切ってきたことなどであります。茨高でしかできなかったであろう様々な経験を糧として、今後ますますたくましく、自らの道を突き進んでもらいたいと思います。

 七十四期生の皆さんが今後ますます活躍されることを祈念しまして、私からの式辞といたします。

 卒業生の答辞では、3年間の成長、同期の仲間達への感謝、茨高への想い、家族への感謝、そして在校生への想いが語られました。一つひとつの言葉に茨高で「挑戦」し続けた3年間の思いが詰まっていました。

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●74期生「卒業の言葉(抜粋)」

 この3年間、私たちは様々なことに「挑戦」してきました。行事が実施できるのかも分からない中で、私たちは手探りながらもたくさん話し合いました。その忙しかった日々も今では懐かしく感じます。

 昨年度の前期、コロナ禍の中で、新執行部が始動しました。私たちの最初の大きな壁は体育祭でした。例年とは違うことだらけで、私たちは体育祭を行うべきか否かから話し合いました。執行部内だけでなく、生徒議会でも活発な議論は続きました。そして、生徒議会での最終的な決定は前代未聞の1票差で体育祭は中止ということになりました。今もなお続いているコロナ禍の中で、体育祭やその他の行事において、私たちは度重なる社会情勢の変化に影響されて悔しい思い、無念な思いをしてきました。上手くいくことの方が少なかったと思います。ですが、私たちはめげませんでした。この茨高生の強さを私は誇りに思います。

 後期では挑戦することを大事にしたいと思い、生徒会長に就任し、様々な経験を積むことが出来ました。今となっては、自分の挑戦したいことをやることが出来た、そういう意味で大満足の日々を過ごすことができたと思います。

 大きな責任のある立場に立ったことがなかった私は、たくさんの壁にぶち当たりました。誰にも共有できない、不安もありました。確かに言えることがあります。後悔はひとつもありません。茨木高校の3年間はとても充実しており、楽しい毎日でした。部活、行事、学校生活での挑戦、ここでの経験で無駄だったものは何一つありません。それも挑戦を後押ししてくれた仲間や家族のおかげです。茨高で挑戦できた鮮やかな経験を踏まえて、これからも笑顔で楽しもうと思います。   

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 僕は、ここにいる皆さんとは違って、1つのことにがむしゃらに取り組んできた生徒ではありません。しかし、ある意味では茨高生らしく、何兎も追う変わった学校生活を送ってきました。この学校でなければ、こんなにおもしろい学校生活を送ることはきっと出来なかったでしょう。

 憧れの茨木高校に入学した頃、僕は外部の劇団に所属し、夏にある公演に向けて稽古をしていました。ミュージカルの舞台は、夏休みの過酷な練習を経て、無事公演を終えることが出来ました。勿論苦しい時もありましたが、僕はめげすに立ち向かうことが出来ました。その背景にはやはり、部活、委員会、勉強など違う分野で頑張る茨高生の姿がありました。みんなが頑張っているから自分も頑張ろう。そう思えたのは、様々な才能にあふれた生徒が集う、この学校だったからだと思います。

 2年生になろうという頃、臨時休校で学校に行くことのできない日々が訪れました。あの頃ほど学校のありがたさや大切さを実感した日々はありません。臨時休校が終わってからも色々なことが制限され、それまでとは全く異なる状況にしばらく心がついていけませんでした。それでも新しい環境が僕を応援してくれました。課題研究、文化祭、クラブ、委員会、沢山のイベントが僕の目の前に転がっていて、徐々に前向きになることが出来ました。文祭会の一員として感染症対策を踏まえながらどのような形で文化祭を実施するかを考えたり、後期では学級代表として生徒議会の運営にも携わらせて頂き、生徒自治の現場を生で感じました。また、2年生の最後には音楽会で久しぶりのミュージカルを楽しむことが出来ました。

 この3年間本当に沢山のことを経験し、沢山のことを学びました。辛いことや苦しいこともありましたが、それを遥かに上回る程の楽しい経験をさせて頂きました。それらは茨木高校でしか経験できない貴重な経験だったと思っています。茨木高校はどんなことであれ、本気で取り組むことは何でも全力で応援してくれる学校です。

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 茨高での3年間を振り返ると、さまざまなことに挑戦した高校生活だったなと思います。中でも、行事委員長を務めたことは自分にとって最も大きな挑戦でした。

 宿泊野外に向けて、初めての経験や思いがけない困難もありつつも、2年生の6月に向けて、作業を進めていました。そこに、僕たちの宿泊野外を奪い去っていった新型コロナウイルスが現れました。

 長い休校期間に入った時、先生とオンラインで度々話し合いをしました。行先を変更するしかないと言われたときは、やり場のない悲しみでいっぱいになり一度は心が折れました。しかし、委員会の皆からの東北に向けて頑張ろ!という言葉や、学年の皆からのめっちゃ考えてくれてありがとう!という温かい声に、とても元気をもらいました。変更された日程までの時間は少なく、コロナ禍によって制限も厳しくなった中でプランの自由度も下がり、それでもなにかひとつでも多くできることはないかと考え、千羽鶴でモザイクアートを作ることに決めました。74期だけでなく、75期の皆さんにも協力してもらいました。本当に感謝しています。当初は途方もない作業に思えました。だからこそ、完成したときはものすごい達成感がありました。

 しかし、結局は東北に行くことが叶わないまま、行事委員会も2年間の活動を持って終了しました。3年生になると、代替行事実行委員会として再スタートしました。本当に時間が無い中、チームワークの良さに感動しました。落ち着くことがなく当日を迎えましたが、当日の朝、臨機応変に対応し、テキパキ動いている委員の皆を見て安心したし、嬉しかったです。全てが終わったあと、上手く説明のできない安心感と満足感でいっぱいでした。

 今語ったたくさんの思い出は、僕が行事委員長じゃなかったら経験し得なかったものです。ほんの少しの興味から始まった行事委員が僕の高校生活をより鮮やかなものにしてくれました。

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 私たちはこの3年間、茨高という個性であふれた学校で過ごすことで様々なことを感じ、壁にぶつかり、そのたびに乗り越えてきました。2年生まで部活を優先し、大勢をまとめるような委員や仕事を避けてきた私は、挑戦し続ける同級生の背中を見て、茨高生活の最後に何かしてみたいと思うようになり、体育祭で援団長に挑戦することを決意しました。

 今年度の体育祭は、初めてのコロナ禍での開催ということで、演技規定を一から見直すことになりました。感染対策を含めた新しい形での体育祭の実施計画の模索、昨年度の体育祭中止により一度止まってしまった茨高の伝統の引き継ぎ。この2つの両立は、簡単なものではなく、話し合いでは、みんな本気だからこそ、意見が食い違ったり、結論を出せなかったりすることが多くあり、やりたいこととできることとのギャップに苦しみました。しかし、どうすれば全員が納得できるのか、楽しめるのかと試行錯誤した日々は、普段聞けない友達の本音を聞ける、刺激的な日々でもありました。実際に援団やマスゲの練習が始まってからも、練習時間・練習場所の確保、後夜祭の開催の是非など、問題はたくさん出てきましたが、その度毎に総長を中心に話し合いを重ねました。

 厳しい状況だからこそ、役職についている人もついていない人も、それぞれが自分にできることで助け合う中で、74期の強さ・優しさを感じました。誰も望んでいない状況だったけれど、その状況だったからこそ見られた茨高生の、74期の強さでした。

 何もなければ、先輩方が受け継いできてくださった伝統をよりよい形で後輩に引き継ぐことを目指していたでしょう。しかし、この状況だったからこそ、その伝統自体を一から見つめなおし、私たちは、茨高の新しい伝統を作りました。学校の伝統を根本から考え直し、新たな形で実行する。あの日々は間違いなく、私の茨高生活で最も過酷で濃密で、刺激的な時間でした。援団長になり、茨高の行事に真正面から向き合ったことで、初めて「茨高でしかできないことが出来た。」と実感しました。「茨高に来てよかった。」と心の底から言えます。

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 私が入部した吹奏楽部は、一人ひとりが生き生きとしていて、温かく優しい場所でした。この大好きな場所で今しか出来ないことをしたい、挑戦せずに後悔したくないと思い、1年の夏に部長を務めることを決意しました。

 吹奏楽部では、自分たち主体で動いていくからこそ、悩むことがたくさんありました。大勢の部員にはそれぞれの個性や考え方があり、時に部活がまとまらないこともありました。何度も挫けそうになりました。たくさんの困難にぶつかり、時に自分らしささえ見失いそうになりました。

 しかし私は、最後までやり切ることを諦めませんでした。まず、部活と委員会の両立。部長として培った経験を委員会で生かせたある時、やりたいこと全てに挑戦したことが間違いではなかったと確信し、自信に繋がりました。そして、仲間と共に創り上げてきた部活動。部長の仕事の大変さは並大抵のものではありませんでしたが、それでも一つ一つ乗り越えていきました。それは、私を支えてくれた部員や応援してくれた学年の友達のおかげでした。私は毎日を共にした仲間のことが大好きで、仲間と心を一つにして奏でる吹奏楽が大好きでした。どんなに高い壁にぶつかっても、仲間と一緒なら何でもできる気がしました。皆がここが居場所だと感じられるようにと創ってきたものが、いつしか私の一番の居場所になっていました。それは、友情で強くまとまりながらも一人一人の個性が光り輝き、誰もが自分らしくいられる場所でした。

 何かに本気で取り組む高校生活を送っていたのは、クラスの仲間も同じでした。眩しすぎるほどに輝いていた仲間が私を突き動かす原動力となりました。茨木高校は、勉強、部活、委員会、趣味でも、何かに打ち込んでいることを皆が認めてくれる場所です。互いの素敵なところを、尊敬を持って認め合える場所です。温かい声援を送ってくれる仲間がたくさんいます。

 在校生の皆さん。挑戦することを恐れないでください。主体性を求められる茨木高校だからこそ経験する困難があり、実感する成長があります。何かに真摯に向き合うことが何よりも皆さんを強くします。また、そのこと自体が、後になって非常に大切な経験だと気づきます。茨木高校で過ごす時間を思う存分楽しみ、人生の糧にしてください。そうして皆さんが1、2年後に「最高の高校生活だった」と思って卒業を迎えることを、心から願っています。

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 あっという間の3年間。もちろん、茨高が誇るたくさんの学校行事は私の高校生活を彩ってくれましたが、私はこれまで過ごしてきた普段の日々の生活からもたくさん得るものがあったように感じます。毎日、先生の話を聞いたり他愛もないことに笑ったりして流れていく日々を過ごす中で、私はたくさんの人に出逢い、たくさんの刺激を受け、たくさんの世界を知ることができました。

 まず、とても個性豊かな仲間たち。誰もが、自分の意見をしっかり持ち、自分が辛いときでも人の心に寄り添い、遊びはもちろん、勉強にも同じくらい意欲的だということに気づき、何事にも全力で生きている茨高生の姿に強い憧れを持つと同時に、そんな仲間たちと過ごしているだけで、自分では思いつかないような考え方に出会ったり、尊敬する生き方を学んだりすることができるのだと知りました。そんな頼もしい仲間たちが周りにいるから、安心して高みを目指そうと思えたし、躊躇わずに色々なことに挑戦したいと思うことができました。

 このような仲間たちと、自分のやりたいことを思うままにできたのは、ずっと当たり前に一緒に過ごしてきた家族が、私のことを信じて支えてくれていたからです。困ったときにはいつも前向きな言葉をかけてくれ、私がやりたいと思うことはいつも何も言わずに認めてくれた家族には本当に感謝の思いでいっぱいです。

 今、これまで3年間過ごしてきた茨高での生活が終わろうとしています。今ではもう当たり前に思えているこの刺激的な環境は、とても贅沢で貴重でありがたいものだったのだと思います。茨木高校に来て、普段の特別じゃない日々が毎日本当に充実していたから、私は特別な高校生活を送ることができました。

 これからは私たちそれぞれが自分の信じる道を進んで行きます。今まで通りにはいかないこともたくさんあると思います。それでも、これからの新しい環境の中での新しい出逢いからまた多くのことを学び、ここで培ってきた個性を活かしながら、それぞれの花を咲かせていきたいと思います。

(令和4年3月1日 第74回 卒業生代表)

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 式の最後では、74期卒業生が自分たちで作詞、作曲した卒業歌「はなむけ」を合唱。この高校生活3年間で成長した姿を、参列者全員に見せてくれました。

●74期生卒業歌「はなむけ」(2番を紹介します)

 泣き疲れて 瞼腫らす朝に

 みんなからのメッセージ 今読み返せば

 費やした日々も 滲ませた汗も

 無駄じゃなかったって胸張れるかな

 このらくがきのままの夢 消してしまわぬように

 追いかけたままでいたい

 だけど ずっとずっとずっとなんてないよ

 きっときっときっとほらまたいつか 会えるから

 さくら さくら 今咲き誇れ

 咲けど散りゆけど そのめに焼き付けて

 どこにいても どんなときでも

 忘れないように 心の中に

 刻んでゆくんだ ほら

 茨の道を 掻き分けながら

 進んできたのは いつか羽ばたくため

 さくら さくら 今咲き誇れ

 舞い降り落ちれど 花びら散ればこそ

 見上げる壁も 果てない空も

 越えられるから 恐れはしない

 今飛び出そう さあ

 それぞれの思いを胸に、茨高から新しい世界へと飛び立っていく74期生のみなさん、卒業おめでとうございます。みなさんの活躍を心から祈り、楽しみにしています。

校歌斉唱.JPG

校歌斉唱

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卒業証書授与

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学校長式辞

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卒業記念品贈呈

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在校生のことば

卒業生のことば

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卒業歌「はなむけ」合唱

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