8月30日(金)の午後から南海浪切ホール大ホールにおいて、「芸術鑑賞会」を開催しました。今年度は東京芸術座による演劇「12人の怒れる男たち」を鑑賞しました。
場面は1950年代末のニューヨーク、その夏で最も暑い日の午後。スラム街に暮らす18歳の少年が自ら購入した「飛び出しナイフ」で父親の胸を刺したとして、「殺人罪」に問われた裁判に対し、12人の陪審員が「陪審員室」で評決に達する(全員一致となる)まで議論を尽くす様子を描くものでした。
法廷では、検察が提出した凶器のナイフや少年の犯行だとする証言ばかりが注目され、誰もが少年が父親を殺したのだと思い込み、疑いもしない状況でした。劇中で弁護士は不能だと話していましたが、弁護士ですら不良少年の犯行だと決めつけていたのだろうと感じるぐらいでした。
ところが、予備投票を行った結果は有罪11票、無罪1票。無罪に投票した陪審員8号は「せめて1時間の話し合い」をと言い、証拠や証言の疑わしい点について検証し直すことを求めました。ちなみに、この12人全員が「有罪」であると決めれば、少年は電気椅子で死刑になるという話しでした。陪審員8号に対して他の陪審員たちは敵意に満ちた言葉を投げますが、陪審員8号はそうした言葉や態度に怯むことなく、自らの主張を通します。
ただ、陪審員8号が、形が特別なもので他にはなく、凶器は少年のものだと警察が主張したナイフと同じ形のナイフをポケットから取り出し、有罪に対する「合理的な疑い」を示したことから、絶対に有罪だと決めつけていた他の陪審員にも心の動揺が見られました。
そうした中で、少年を見たという証言についても徐々に「合理的な疑い」が明らかになっていきます。殺人が行われた部屋の下に住む老人が、犯行当日の夜、少年が「殺してやる!」と叫んだのを聞いた直後、少年が逃げていく姿を廊下で見たという証言。高架鉄道をはさんで殺人現場と反対側に住む婦人が、通過した電車の窓越しに少年がナイフで刺すところを目撃したという証言です。それぞれ、足が不自由であった老人がそれほど速やかに廊下に行くことができたのか、眼鏡をかけているはずの婦人が電車の窓越しに少年の犯行を見ることができたのかなどの疑念が生じてきます。このような議論と検証がすすむ中、無罪の投票は陪審員8号の1票だったのが、2票、4票、6票、9票、11票、そして最後には全員一致で「無罪」という評決に至ります。
1時間45分の劇でしたが、あっという間に時間が過ぎた気がしました。「陪審員室」のみでの会話劇で、観客をこれだけ引き込み夢中にさせることができる、12人一人ひとりの個性と法廷での立証が徐々に崩されていく面白さ、そして東京芸術座の役者さんたちの演技力に感心しました。
1957年に作られた作品とのことですが、いわゆる「古さ」は全く感じられず、逆に、時代が移り変わっても「大切なこと」は何も変わらないのだということを実感しました。この劇を観て、またセリフを聞き、感じることが数多くありました。
まずは、「自分が正しいと信じたことを貫き通す勇気」や「大勢に流されない強い意志」、「他人に影響を与える行動に対する責任」を持つことの大切さを感じました。また、「偏見や思い込みは真実を見ることを妨げる」、「誰にでも自分の意見を持つ権利があり、持つべきであること」について考えさせられました。私自身も固定観念や偏見などは捨てなければと感じたところです。
そして、これからの予測困難と言われる時代を生きていく生徒たちに、「他人と協働して納得解を導き出す力」や「他を説得するために必要となる論理的に主張できる力」などを身に付けてもらいたいと感じました。生徒の皆さんはこの劇を観て、どのようなことを感じ、考えたでしょうか。
演劇が終わってから、生徒を代表して、自治会会長の渡邉くんから劇団の方々にお礼の言葉を述べ、花束を渡しました。渡邊くんの言葉は内容も深く、また言葉に力があり、とても素晴らしかったです。劇の感動に負けないぐらいの嬉しさを感じ、思わず本人にもその感想を伝えました。自治会会長の任期もあとわずかですが、3年生になってから会長に立候補した思いや考えを振り返り、やり残すことのないよう活動してもらいたいです。
最後になりましたが、今回の「芸術鑑賞会」の開催にあたり、ご協力いただきました東京芸術座の皆様、会場をお借りした南海浪切ホールの担当者様に感謝申し上げます。特に今回は、台風10号の動きが定まらず、週の中ほどには「中止」になった場合の相談もさせていただいたところです。でもこうして実施することができ、感動を与えていただいたことで、より一層、実施できた喜びを感じ、皆様に感謝しています。本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。