77年

 8月6日は、広島原爆の日。あれから77年の今、ロシアによるウクライナへの侵攻、台湾をめぐる中国とアメリカの緊張状態と、日本にとっても「平和であること」が安心していられないという思いが現実的なものとして感じられるようになってきました。

 私の両親は広島で生まれました。父の実家は、原爆ドームの近くにある寺町の中にあるお寺です。8月6日のあの日、父は学徒動員で山口にいて難を逃れましたが、父の母と多くの兄弟姉妹は、亡くなりました。父の父(私の祖父)は、お寺の本堂の梁の下敷きになりましたが、奇跡的に生き延び、天寿を全うしました。子供の頃、夏休みに父の実家に家族で行く度に、原爆ドームの近くの川で行われる灯籠流しに連れて行ってもらいました。幼い頃は、「きれいだなあ」と楽しい行事くらいにしか思っていなかった私ですが、その意味を理解するようになると、灯籠流しをしている人たちの姿を今までとはちがう思いで見るようになったことを覚えています。両親や祖父から折に触れ、原爆の話を聞いて育ちました。大人になってある時ふと、小さい頃に父がアメリカのことを「許せない」と静かな怒りを滲ませて話していたことを思い出し、家族や友人、大切な人を一瞬にして理不尽に奪われることが、悲しみなどという言葉では表せ尽くせないことであり、どれだけ時間が経っても消えない心の痛みであることに思いをはせました。

 来日したグテーレス国連事務総長が、インタビューの中で、NPTでの具体的な合意の重要性を訴えていましたが、その合意が、ますます困難になってきている現実を私たちは直視しなければならないのだという思いを改めて強くした今日でした。