大切なことは不変です

 本校卒業生で、京都大学理事・副学長の村上 章先生のことは、このブログでも何度かお話してきたと思います。村上先生は、厳しいだけでなく、高校生に対してとても熱い想いを持ち、思っているだけでなく行動に移されるのです。私は、4月に豊中高校の校長として着任してから少しして村上先生とお話する機会を得、その後、本校にお越しいただいての講演会、そして先日このブログでも紹介した京大見学会でお話する機会を得ることができました。

 村上先生が伝えてくださったことの一部を紹介します。

 ・高校生の今、学習に対して、真摯に死に物狂いで取り組むことが必要。高校卒業後の人生では、何度も自分が懸命に取り組み、乗り越え、決断するという場面にぶちあたる。その最初の大学受験で、死に物狂いでがんばることができるかどうかは、その後の人生にも大きな影響を与える。

 ・挨拶は基本。挨拶ができない人間が、勉強ができるわけがない。 

 私はもちろん昭和生まれで、昭和と平成を同じ年数生きた世代です。令和の今、「昭和であること」をマイナスイメージとしてとらえられることも多々あります。校長となってからでも、大きな変化を感じながら勤めてきました。その変化に対して敏感であることは管理職として当然ですし、理解することに真摯に取り組むことこそ、学校という「生き物」を日々前に進めていくうえで、校長に求められることだと思ってここまできました。でも、初めて教員になったときから今まで大阪の公立高校に勤めてきて、「ゆずれないもの」は私の中に明確に形成されています。でもそれを押しつけてもうまくいくはずもなく、どうしたら前に進めていけるかに腐心してきました。特にこのコロナ禍に見舞われてからは、生徒の皆さんのおかれている環境を思い、細やかに心をくだくことと、叱咤激励することのバランスをとることを心がけてきました。

 でも、村上先生と何度かお話する機会を得て、改めて感じたことは、自分が今思っていることは、本当に相手のことを思うなら、一歩踏み込む勇気を持つことがどれだけ大切かということです。私自身は、生まれ持っての性格で、言いにくいことも必要だと思えば言うべきだと思って仕事をしてきました。もちろん、その時その時で「言わないほうがよい」という判断もしてきましたし、フォローすることは欠かしませんでしたが、それでも「言わない」「波風を立てない」方が余計な労力はいらないのだろうな、と思う場面でも、必要だと思えば、あえて労力をかける道を選んできました。校長となってからは、自分の信念だけでなく、学校という組織にとって自分の決断が可が不可かと、たえず問いかけて選択してきました。

 今日一日、豊中高校に着任してからの日々を振り返り、現在とこれからのことをゆっくりと考える時間をとることができました。いろいろなことを考えましたが、改めて、「大切なことは不変」という想いを強くしました。

 やはり、休暇は必要だと思った一日でした。

 生徒の皆さんも、受験勉強や部活動と学習の両立など、それぞれに余裕のない日々を日頃過ごしていると思いますが、この夏休みのどこか一日で、少し自分の思いを確かめる時間を持ってみることもいいのではないでしょうか?また一歩前に進む原動力になると思います。