東百舌鳥高校の歴史(1)

おはようございます。

中間考査も、明日一日となりました。ご家庭でのテスト勉強は捗っておられますでしょうか。

本日は、シリーズ企画の第一弾として「東百舌鳥高校の歴史(1)」をお送りいたします。

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参考資料は、大阪府立東百舌鳥高等学校『五周年記念誌』『十周年記念誌』です。

昭和51年4月の開校に先立って、仮称第103高等学校の校名について候補がいくつか用意されていました。本校が、旧深井村の土塔新田に位置しているところから、土塔高等学校の名称が、また、西百舌鳥・中百舌鳥・東百舌鳥の3つの旧村の総称として百舌鳥高等学校の名称も考えられたようです。

一方、地元の各自治会の皆さま方は、当初から地元に縁のある地名を校名の冠にする、すなわち、「東百舌鳥高等学校」の名称を強く要望されました。大阪府との協議の結果、地元の要望がいれられ、「大阪府立東百舌鳥高等学校」と正式に命名されたのです。本校開校に対する、地元の皆さま方の熱い期待が込められていたのです。

 

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(昭和51年4月現在 平面図)              (昭和60年4月現在 平面図)

次回は、開校当時の様子から紐解いていきたいと思います。

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