東百舌鳥高校の歴史(1)

期末考査もいよいよ来週月曜日からです。土日を有効に活用して、試験勉強に頑張ってください!!。

昨年度シリーズ企画「東百舌鳥高校の歴史」をお送りいたしましたが、今年度は新たに構成をしてお届けしたいと思います。

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参考資料は、大阪府立東百舌鳥高等学校『五周年記念誌』『十周年記念誌』『二十周年記念誌』』『三十周年記念誌』』『四十周年記念誌』です。

昭和51年4月の開校に先立って、仮称第103高等学校の校名について候補がいくつか用意されていました。本校が、旧深井村の土塔新田に位置しているところから、土塔高等学校の名称が、また、西百舌鳥・中百舌鳥・東百舌鳥の3つの旧村の総称として百舌鳥高等学校の名称も考えられたようです。

一方、地元の各自治会の皆さま方は、当初から地元に縁のある地名を校名の冠にする、すなわち、「東百舌鳥高等学校」の名称を強く要望されました。大阪府との協議の結果、地元の要望がいれられ、「大阪府立東百舌鳥高等学校」と正式に命名されたのです。本校開校に対する、地元の皆さま方の熱い期待が込められていたのです。

 

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(昭和51年4月現在 平面図)              (昭和60年4月現在 平面図)

昭和50年3月13日に、大阪府議会で、本校設立が議決され、4月1日から開校準備事務が始まりました。

6月16日には地鎮祭が執り行われ、第1期工事が進められました。6月16日は本校創立記念日です。

12月12日、大阪府立高等学校条例の一部改正により、大阪府立東百舌鳥高等学校として設置されました。翌昭和51年1月1日付で、初代藤澤校長・小林教頭・橋本事務長が発令され、1月8日より、大阪府立三国丘高等学校同窓会館に開校準備室を置き、開校準備を進めました。2月28日には、第1期工事教室棟が竣工。

3月16日に学力検査、19日に合格発表が行われました。

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第1期生の入学試験の競争率は「1.36倍」。540名の定員に対し、733名の志願者でした。(上記載、校舎の写真は『創立20周年記念誌』より)

次回は、昭和51年4月8日、第1回入学式からご案内いたします。

※ 昨日、学校が利用していますCMSのブログ更新ができないネットワーク障害が発生し、本来昨日更新させていただく分を今朝更新させていただいています。

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