緑風冠高校の周囲の歴史(4)

いつもブログをお読みいただきまして、ありがとうございます。

緑風冠高校の周囲にある、歴史的なものを訪ねる記事の第4回目は「三箇菅原神社」です。

学校の北300mほどの場所に菅原神社があり、第2回目(10/7のブログ)で紹介をしていますが、寝屋川を挟んだ西には「三箇菅原神社」があります。門真方面からの通学の生徒たちが利用する府道161号線からは、少し住宅地の方に入ることになりますが、大きなクスノキが府道からもよく見えます。大東市の名所として大東八景に選ばれている場所ですので行ってみました。

鳥居の手前の横にある小さなクスノキの横に、「大阪府 三箇城跡」の碑がありました。三箇城は、飯盛山城の支城であり、この地にあったということですね。かつてはこのあたり一帯が大きな深野池であり、その池の中に三つの島があったことからこの場所が「三箇」という地名になったそうです。その三つの島のうち一番大きな場所であるこの地に城があったようです。江戸時代の貝原益軒は深野池のことを「広さ南北二里、東西一里」と南遊紀行のなかで記録しています。およそ8km×4kmでしょうか、すごく大きな池だったのですね。この三箇城は1561年に畠山氏によって滅ぼされたと書かれています。うーん450年以上も前のことですか・・・

 

鳥居から大きなクスノキが見えます。諸説あるようですが調べてみると、この地は隠れキリシタンの教会として、三箇城主が神社を教会に改めたとあります。隠れキリシタンは、高槻、四条畷砂、そしてここと3箇所あるようですね。やがて菅原道真公を祭る名の神社となり、五穀豊穣や厄除けを祈願する神社になったそうです。

 

入ってみましょう。大きな干支の絵馬も用意してあります。そして府道から見えた、神社の中にある大きなクスノキは大東市の保護樹木であり、ご神木のようになっています。私はお参りをして、緑風冠高校の生徒たちの学問成就と厄除けを祈願してきました。

広い境内には、お稲荷さんなどもありましたが、道真公を祭る神社ですのでやはり「撫で牛」がありました。京都北野天満宮にある「撫で牛」は黒色です(何匹かあるようです)が、ここの牛は花崗岩のような灰色です。やはり、よく撫でられる場所(頭ですね)はツルツルになっていました。私も牛さんの頭を撫でておきました。

緑風冠高校の周囲には、こんな歴史ある場所がいくつかあります。皆さんも是非、行ってみてください。

今回も、ブログを最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。緑風冠高校のことをよく知っていただくために、これからもブログを続けてまいります。

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