緑風冠高校の周囲の歴史(5)

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緑風冠高校の周囲の文化・歴史的な場所を紹介する第5回目は、緑風冠高校の南約1.5キロと少し離れた場所、大東市の中心地「住道」です。

大東市南部や東大阪市からの緑風冠高校への自転車通学の生徒たちは、住道駅付近で恩地川や寝屋川を渡る(橋を越える)ことになります。河川の築堤工事により、ほとんどの橋には自転車にはつらいアップダウンがあります。坂のほとんどない少しでも楽な橋として、サーティホール前から北上したところに竹橋があり、多くの生徒が利用しています。この竹橋あたりは「河内街道」として八尾と枚方をつなぐ街道があり、道沿いには本伝寺があります。創建は1330年という歴史ある大きなお寺です。

 

河内街道は明治の頃には府道八尾枚方線とよばれていましたが、交通量の増加から昭和29年に西側に新しく府道新八尾枚方線(現在の府道21号線)をつくりました。本伝寺はこの地の布教の中心地であり、その大きさから、かつての街道の賑わいを感じます。しかし現在では寺の前は交通量の少ない細い道だけとなり、ひっそりと佇んでいます。

この河内街道や本伝寺から100m程離れた場所にJR住道駅があります。駅周辺は大東市の中心として交通至便な場所でもあり大阪市内のベットタウンとしてビルやマンションが林立しています。しかし、かつては海運が旅客や貨物輸送の中心であり、寝屋川舟運の拠点としてこのあたりがおおいに栄えていました。住道駅から北口に出て階段を東に降りていくと寝屋川と恩地川の合流地点であり、この場所には舟運の守り神として住吉神社があります。

 

この住吉神社はともすれば見逃してしまうくらい、とても小さな神社です。このあたりが寝屋川舟運の中心地であり「角の堂浜」といわれていました。諸説あるようですが、二つの川の合流点に高僧が庵を建て、その形から「角の堂浜」と言われていたそうです。かつてこの地には大きな問屋や旅館などがあり、おおいに賑わっていたそうです。しかし舟運業の隆盛も昭和10年頃までで、やがて運送の主流は鉄道や自動車に変わっていきましたが、昔からとても賑わっていたこの場所であります。

さらに調べてみると、この場所は明治22年市町村制の施行により「角の堂(すみのどう)」の嘉字として、今の「住道」になったとあります。

※嘉字 もとの漢字を良い意味となるように変えたもの。例として「埋田」→「梅田」があります。

今日もブログを最後までお読みいただきありがとうございました。緑風冠高校の周囲の文化や歴史を知り、学校への関心を高めていただけると幸いです。

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