緑風冠高校の周囲の歴史⑤

いつも校長ブログをお読みいただきましてありがとうございます。

緑風冠高校の周囲の歴史を紹介するブログの5回目になりました。今回は、学校南にある深野新田会所跡と両皇大神社です。

学校へは多くの生徒が自転車を利用していますが、全校生徒の2割くらいが学校の南から寝屋川沿いの道を利用して通学しています。学校の傍に寝屋川がありますが、市役所から少し学校よりの場所で、野崎観音参りで利用された谷田川と鍋田川に寝屋川が分岐します。その分岐あたりに「深野新田会所跡」があります。

 

交通量の比較的多い市道の横にあります。住宅に囲まれて、ちょっと気づきにくいかも知れません。児童遊園にもなっています。

大和川の付け替えが18世紀にあり、このあたりの深野池とよばれる湿地帯とおおきな池が新田へと開発されました。その昔、大和川はいまのように柏原市から堺市のほうへ東から西に、ほぼまっすぐ流れるような川ではなく、八尾あたりから住道あたりへと蛇行するように流域があったとされています。頻繁に氾濫していたので、河川の治水対策と新田開発を同時に行い、現在の大和川が完成し、さらにこの地が農業等に利用できる新田や土地に代わりました。新しく農地となったこの場所に、幕府は管理を目的に深野新田会所をつくったとあります。300年前には、この場所で年貢となる米を集めたり、地域の人を管理する吏員が住んでいたのですね。併せて両皇大神社も建立され、この地が深野あたりの中心となっていたようです。

いまでは、住宅やマンションのあいだに隠れるようにあるだけですが、大東市の歴史を知るうえでとても重要な場所でもあります。

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