緑風冠高校の周囲の歴史⑥

緑風冠高校は1972年に創立された大東高校の跡地を利用しています。およそ50年前に現在の場所に学校ができていますが、もともとは深野の湿地帯や田であった場所です。その名残が学校を空からみると分かります。

記念誌を写真にとってみたので、少し見づらくなりました。とても大きな校地であることがわかりますね。写真の左上の深野小と比べると、その大きさがわかります。

学校の敷地は、田の2区画を転用したとあります。写真に線を入れてみましょう。

赤線の①②③が、もともとの東西に延びる用水路のあった場所のようです。

左下の①は、現在の生徒たちが利用する桜並木の緑道です。

大東高校が創立された時には、①の通学路はなく水路のままであったようです。当時の生徒たちは、野崎観音側にあった駅の改札を出ると、北側の踏切を渡り、現在の四條畷警察と深野中のあいだにある府道を利用して通学をしていたとあります。少し遠回りですね。

②の水路跡はグラウンドから見ると、水路を埋めてできた通路なんだろうなと想像できます。

そして、③は現在も水路として校地の南側に残っています。

こんなふうに校地には3本の東西に流れる水路があったことがわかります。

では①の水路跡に行ってみましょう。

この写真が①の場所です。校舎の北西角の場所で野球のバックネットがあるところです。まっすぐに駅の方に外環(170号線)まで緑道があります。

①は現在の生徒の通学路になっている深野緑道です。いまでは春の桜並木がとても綺麗で、便利な通学路です。通学路から反対(西側)を見てみましょう。

 

西の方向を見てみると、まだ水路が残っています。ちょっと行ってみましょう。

写真ではわかりにくいですが、鯉や亀がたくさんいます。亀は40年くらい生きるそうなので、きっと優雅に泳いでいる大きな亀は、この大東高校や緑風冠高校の歴史を知っているのだろうなぁ(?)と思いながら、しばし水面を見ていました。

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