緑風冠高校の周囲の歴史(3)

いつもブログをお読みいただきまして、ありがとうございます。タイトルの第3回目は学校の最寄り駅の野崎駅です。

野崎駅のある学研都市線は、明治28年に浪速鉄道という会社が、大阪市内から野崎観音や四條畷神社の参拝客を吸収することを目的に線路をつくったことに始まります。京橋の近くにあった大阪市内の片町駅から四条畷駅間が開通しました。当初の駅は、片町~放出~徳庵~四条畷であって、いまでは15分ほどの時間で移動できますが、当時は陸蒸気の列車で車軸の響き高らかに河内平野、野崎あたりの菜の花畑をおよそ40分かけて疾走していたようです。当時は、どんな風景だったのでしょうか。5月の野崎詣り(「八日日詣り」といいます)の期間だけ臨時に野崎降車場としてあったものから、明治45年に正式に「野崎駅」として誕生しました。

ウィキペディアを見ると、関西鉄道からしか書いていませんが、はじめは浪速鉄道が鉄道線を敷いており、その後、関西一円の鉄道網を発展させる目的で設立された関西鉄道に浪速鉄道は吸収合併されました。やがて鉄道線は国鉄へ移管され、現在のJRの学研都市線になっています。また、ウィキペディアに掲載されている写真も旧駅舎であり、野崎観音のある東側に駅前広場がある構造ですが、最近、駅舎と駅周辺の改造工事を行っており、いよいよ新しい駅舎が姿を見せました。

とても、綺麗で立派な橋上駅舎ができています。「JR野崎駅」の文字が朝日を受けて光っています!駅の西側に外環状線(170号線)や府道があるのですが、これまで道路に面した駅西側には何もありませんでした。新しい駅では国道などに接続するように(野崎観音とは反対側の)西口に大きな駅前広場ができそうです。バス停やタクシー乗り場ができると嬉しいなぁと思っています。(計画は公表されていませんので、私の願望です;)

新入生たちは、新しくなった駅から西へ歩いていくことになるのですね。少し便利になりそうです。駅からはブログでよくお知らせしているように、深野緑道を歩いての通学です。

春には桜が満開の通学路も、いまでは写真のとおり赤や黄に色づいています。とても綺麗です。歴史や季節を感じながら毎日を過ごせることはいいことですね。

※内容は「大東市史」(昭和55年刊行)を参考にしております

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